翻訳と辞書
Words near each other
・ P-2J (航空機)
・ P-3 (航空機)
・ P-3 オライオン
・ P-30 (航空機)
・ P-35 (航空機)
・ P-36 (航空機)
・ P-36 ホーク
・ P-38 (航空機)
・ P-38 ライトニング
・ P-38缶切り
P-39 (航空機)
・ P-39 エアラコブラ
・ P-39エアラコブラ
・ P-40 (航空機)
・ P-40 ウォーホーク
・ P-43 (航空機)
・ P-47 (アーケードゲーム)
・ P-47 (ゲーム)
・ P-47 (航空機)
・ P-47サンダーボルト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

P-39 (航空機) : ミニ英和和英辞書
P-39 (航空機)[ぴー39]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
航空機 : [こうくうき]
 【名詞】 1. aircraft 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [き, はた]
 (n) loom

P-39 (航空機) : ウィキペディア日本語版
P-39 (航空機)[ぴー39]

ベル P-39 エアラコブラ(Bell P-39 Airacobra)は、第二次世界大戦初期に活躍したアメリカ陸軍の単発レシプロ戦闘機。同国の航空機メーカーであるベル・エアクラフト社によって開発された。
== 概要 ==
1936年に出されたアメリカ陸軍の高々度新型迎撃機の要求へ応えて、前作FM-1「エアラクーダ」に続く第二弾として、新進気鋭のベル社が出した回答がXP-39である。その形態はエアラクーダ譲りの新機軸が山盛りの珍しい設計で、胴体中央(操縦席の後)に液冷式のエンジンを置き、プロペラ軸を通して装備される37mm機関砲(モーターカノン)を機首に装備した。これは主に機関砲の安定性を保つための仕組みであったが、エンジンを中央に置くことで運動性も向上すると見込まれた。また、前輪式降着装置(米国の単発戦闘機では初めて)を備えたため離着陸時の視界も従来の戦闘機と比べて良好だった。またキャノピーは涙滴型だがコクピットへの出入りはスライド式ではなく、側面に自動車型のドアを持つ変則的なものであった。
高々度戦闘機として排気タービンを備えた試作機は、1939年4月6日に初飛行し、クリーン状態で最大速度628km/h、分間上昇率1,219m/minなどの高性能さを発揮した。しかし、陸軍は仕様に反して本機を高々度戦闘機にする気は無く、排気タービンを外して中高度戦闘機として生産するように指示を出し、一段一速過給器のV-1710-35エンジンを取り付けられて量産が開始されたが、量産型のP-39Cは重量増加などで性能は低下してしまった。武装は37mmモーターカノンと機首に12.7mm機銃×2+7.62mm機銃×2である。P-39Dは機首の7.62mm機銃を撤去した代わり、主翼付け根左右に7.62mm機銃×4を装備した武装強化型だが、このため、ますます性能は低下した。
輸出用として軍事機密の排気タービンが外されたP-38「ライトニングIと同様、イギリス空軍へ輸出されたP-39C相当の機体(エアラコブラI)は期待はずれの性能(カタログスペックに満たず、ホーカー ハリケーンより劣ると評価された)により、とても実戦に使えないとして僅かな期間で運用中止。11機が受領されたに過ぎず、残る機体は受け取りを拒否され、212機が1941年12月からソ連へのレンドリースに回された他、残る179機がP-400と名付けられ、アメリカ陸軍が引き取ることとなった。なお、これらの機体はモーターカノンが37mmから、発射速度の大きい M1 20mm機関砲(弾数60発)に換装されていた。
ソ連には合計4773機が送られ、1942年5月から空軍及び防空軍に配備されたP-39は、大変な好評をもって迎えられた。対地支援任務を主とするソ連空軍では戦闘機でも低空域での空戦がメインであり、高度による性能低下に苦しむことなくその本領を発揮できたのである。以前は他の戦線での低い評価により、37mm機関砲による対地攻撃任務に活躍したと思われていたが、ソ連崩壊以降伝わってくる記録や当時のパイロットの話によると、ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされており、事実、多くの有名エース・パイロットが搭乗している。ソ連軍では機動性を優先し、翼内機銃やガンポッドを撤去して機首武装のみで運用された。また東部戦線で運用されるアリソン・エンジンの寿命は短く、頻繁に交換する必要があったとのことである。
太平洋戦線では米陸軍やオーストラリア軍に配備されたP-39及びP-400が日本海軍零戦と戦ったが、中高度域での性能、特に加速性が零戦には及ばなかった事から、不利な戦闘を強いられた。それでもP-39はD型以降も次々と改良されており、最終的にはモデルはQ型(ただし、H、I、Oは欠番)にまで至っている。だが、生産機数の52%はソ連へのレンドリースであり、本家アメリカ陸軍では1943年以降、機種改変によって第一線から退いている。
XP-39が初飛行した際、アメリカ海軍も同機の高性能さに目を付け、XFL「エアラボニータ」を尾輪式の艦上戦闘機として試作要求した。同機は大幅な改修を加えて1940年に完成したものの、不具合が続出し、加えてチャンス・ヴォート社のXF4Uが高性能を発揮していたため、海軍での本採用は見送られ、1942年に対空射撃試験の標的機として生涯を終えている。
後継機として、同じレイアウトで高度による性能低下問題を解決した発展型、P-63「キングコブラ」が採用されたが、P47P51といった優秀な新型機の配備が進むアメリカ陸軍ではほとんど使用されず、やはりソ連に渡り活躍した。
日本軍のパイロットからは、その形状より「カツオブシ」と呼ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「P-39 (航空機)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.